[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- Newer : nico とことん男臭~いジュリー
- Older : 三年想いよ
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
やっぱり、削除されてしまいました、畳ジュリー。
なわけで、違うVer.を・・・(2014.5.29)
===
ジュリーは年に一度、アルバムをリリースし、
そのアルバムのツアーライブを行うということを、
デビューしてから欠かしたことのないという、
ギネスものの活動をしています。
この事を知っているのは、ファンの人くらいだろうね。
ある時を境に、テレビに出なくなり(出れなくなったともいうが・・・)
過去の映像をメディアに封印してきたため、
”あの頃”のジュリー以降を知っていらっしゃる方は、
本当に少ないです。
2001年だったか、その位のころにテレビ出演解禁してたけど、(映像解禁はしてない)
あくまでも、現役にこだわってる彼は過去曲だけ扱うような番組には出演せず、
(紅白の出演すら、過去曲でといわれ断り続け、そのうちオファーがなくなったと言ってたw)
自分の好きな番組に出演してたのでした。
60歳の還暦コンサート(6時間、80曲、ゲストなし、ついでにイヤモニなし)、
昨年のタイガース完全復活ライブをしたのをきっかけに、
戻りファンやYOUTUBEで若いジュリーをみた若い方も増えちゃいまして、
普通のライブもチケットとりにくくなっちゃったりしてます。
テレビに出なくなってからも、いい曲だしてるんですよね。
んで、YOUTUBEで若いころ(ソロ初期~)の曲を聴き直してみると、
ホント、天は二物を与えたというか、よく通る声でしかも美しい(声も姿も)。
だけど、早川タケジの衣装をはじめとして、
ヴィジュアル的にも音楽的にもあの時代にあれだけ前衛的なことができたのは、
あの沢田研二という素材・受け皿としての沢田研二があったからこそだと思います。
そのことに関しては、いろんな方が書いてらっしゃるんでここでは省きますが。
昭和に生まれた稀有な存在のジュリーの歌を伝えておかなけれ
という、危機感になぜか襲われてしまい、このブログでもYOUTUBEを
貼っていこうと思います。
まあ、このブログ見てる人少ないので、そんなに影響ないかもですが、
自己満足で、自分自身の歴史?として残しておこうと思います。
YOUTUBE リンク先はそのうち削除されちゃうかもですが、
よければ聞いて、観てみてくださいまし。
まずは、これから、、、です。
夜のヒットスタジオ 1978年 サムライ(畳Ver.)
COMMENT
COMMENT FORM
11 | 2024/12 | 01 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 | 31 |